因果はめぐる糸車か…夏の思い出は、猛暑と弁当とそして宿題とどんより悩める夏休み。 [にっき]
9月ももうすぐ終り、10月の足音が聞こえるあたりになって
やっと日中の気温が30℃をきった・・・と思ったとたん、
くしゃみをしている今日この頃のkomadamuです。
こうみえて割と敏感なのよっア・タ・シ
とはいえ、やっと一息、長い夏だったわ。。。
そして夏と言えば今年も娘が7月の半ばから8月いっぱい夏休みだった。
暑いのが苦手な私にとっての夏、そして夏休みは決して楽しいシーズンではない…
しかも猛暑ってことで、思えば今年の夏は暑さは勿論、
例年になく大変な、そう今年は予想以上に汗が吹き出る日々だったのだ…(遠い眼)
で、夏休み。
夏休みがそんなに楽しくなかったのって、そういや昔っからだよな。
っとあれこれ夏休みについて思いを巡らせてみる…
実は私の中の12ヶ月は円で出来ていて、
単にイメージ的なものだけど何となく円の上の部分。
時計で言うと11時から1時の間が夏休みのイメージなのだ。
そして夏が来るとその部分が赤く染まる様な気がするのだが、
そんな期間の思い出って言うとどうだろう。。。
小さな宝石のような楽しい思い出と、どんよりと漬物石のような思い出が、
2対8くらいの割合で存在しているのである。
宝石部分の楽しかった思い出は、小学校の頃。
母の実家に泊まりに行っては、畑や裏山で遊んだり、
井戸の水をじゃぶじゃぶ出して遊んだり、
カエルを死ぬほど捕まえて観察したり、カラスウリを見つけに行ったり…なぁんて
井上陽水の「少年時代」みたいにキラキラした夏休みの記憶である。
しかし、宝石のような思い出は歳をとるごとにぼんやりと霞み、
頭の天辺あたりにフワフワと浮いている位なのだが、
一方の漬物石の思い出と言えば、明確な記憶こそ薄れてはいるが、
その澱んだ気分はトラウマのごとく気持ちの端っこに沈殿しているのだ。
そうは言ってもヤゴにとっては一難去ってまた一難なのではないか・・・ヤゴ救出大作戦 [にっき]
いやぁ、すっかりご無沙汰してしまって、
気がつけば6月ももう半ばにさしかかりますねぇ。
気温の方も25℃を超える日も増えてきて、
おかげで家の中は蒸し暑くってぐったりしているkomadamuです。
そんなこんなで、そろそろ衣替えしなくっちゃねと
重い腰を上げて半袖Tシャツを普段使いの引き出しに移動させ終えた今日この頃。
改めて初夏の到来を思い知らされる行事が娘の小学校で行われた。
(ちょっと大げさかもしれない(笑))
そう、6月になると学校では水泳の授業が始まる。
そこで行われるブールの大掃除なのだが、
しかし、オフシーズンの間にすっかり巨大な水たまりと化していたプールには、
去年の夏の終わりに大量のトンボの卵がが産み落とされ、
冬の間ふ化したヤゴは次第に暖かくなるプールの中ですくすくと成長し、
幸せに、しかも大量に暮らしていたのだ。
そしてこの度プール開きをするに当たり、
これから使うからと言って追い出されてしまうかわいそうなヤゴたちを
救出して飼育しようという、3年生の子どもたちの理科ならではの、
「ヤゴ救出大作戦」という授業が先日おこなわれたのだが、
楽しい授業は学校だけでは完結しなかったのだ・・・
タグ:ヤゴ
2011年まで待てなかった・・・ここにきてやっと訪れた我が家のデジタル化への道〜その1〜 [にっき]
娘に朝から「ママ、鉄パイプの匂いがする」と言われたkomadamuです。
何じゃそれっ!!!
さて、ここしばらくブログの更新をさぼっていた。
最後に更新したのは2月の9日、
かれこれ2ヶ月ちょっととかなり間が開いてしまった・・・
しかも最近はつぶいやいてばっかりで遊んでいたように見えるかもしれないが、
(サイドバーでつぶやきが見られます)が、決してブログに飽きちゃった訳ではない、
それにはいろいろと訳があるのだ。
実は2月からこっち、ドカン、ドカンと大騒ぎな出来事があり、
その合間に仕事と家事と育児と、という日々だったので結構忙しかったのだ。
だから、まとまった時間があれば山積みとなった家事をやっつけ、
かまってほしいとブーイングの嵐の娘の相手をし、
夜中は録画したままHDを圧迫し続けるドラマの消化にと費やされ、
ついつい長文になってしまうブログの方は後回しになってしまっていたのです。
という訳で、さかのぼる事2ヶ月ほどになるが、
2月は私の大好きな冬季オリンピックで盛り上がっていた。
開会式のハプニングにドキドキし、スピードスケートやモーグルの競技に一喜一憂し、
仕事をしつつも背後のテレビは常にオリンピックが流れ。。。という日々。
とはいえ、まぁまあその辺りまでは普通に、そこそこのペースで生活し、
オリンピックネタのブログもアップしたいなぁ・・・なんてのんきに思いながら、
ガンバレッニッポン!の日々を送っていたのだった。
が、とうとうそこで第一の大騒ぎが始まったのである。
いや、冬季オリンピック自体がどうという事ではない。
その楽しみにしているオリンピックを見るためのテレビがその主役なのである。
遥か彼方縄文の人々の祈りに思いを馳せる・・・元祖ハンドメイド!?国宝 土偶展 [にっき]
最近、針に糸を通すのに四苦八苦しているkomadamuです。
そうそう久々にカンブリア宮殿(テレビ東京)を見ていたら、
ユザワヤの会長が出演していた。
ユザワヤと言えば3月、4月頃の進級の季節には特にお世話になっている手芸のお店。
よく吉祥寺店には行くので興味深く拝見していたが、
会長が番組の中で確か「手作りはなくならない」と言ってらした。
(録画してなかったのでうろ覚えなんだけど)
そうだよなぁ・・・手作りってなくならないものかもしれない。
まったりと布団にくるまっていたら娘がやってきて何やら見せてくれた。
「ほら〜〜〜お母さんが欲しいって言ってた遮光器土偶だよ〜」
朝から粘土で遊んでいた娘が作ってくれたらしい、
土偶と言えば誰もが思い出す、あの遮光器土偶(しゃこうきどぐう)・・・なのである。
寝過ぎでまさに遮光器土偶化した瞼だった私の目が一気に開くなかなかの出来栄え。
さすが現役工作少女である。
いえね、というのもその前日の土曜日に親子3人で行ってきたんですよ。
上野の国立博物館で開催されている「国宝 土偶展」に。
(東京国立博物館で2月21日まで開催中)
そのミュージアムショップの一角に置かれていたガチャポンで
土偶のフィギュアを大人買いしてしまったのですが、
欲しいと思っていた遮光器土偶がでなくってガッカリしていた母のために
娘が朝から作ってくれたという訳。
なんて親孝行の娘・・・ってかこれって作るの難しいんじゃぁないかぁ?
で、「国宝 土偶展」
なんでもイギリスの大英博物館で去年開催されていた
「THE POWER OF DOGU」の帰国記念展ということで、
国宝の土偶3点を含む重要文化財の土偶など67点が展示されている。
とは言え土偶だし、そんなに大きな展覧会ではないので、
まぁ昼過ぎに行けば充分と相変わらずスロースタートな親子3人が
のんびりと会場に到着すると、なんとまぁ・・・
「会場は現在混雑しています」の看板が。
えぇぇ〜〜〜っとビックリしつつ、チケットを購入して入ってみると、
会場の出口に設置された土偶展のショップは大混雑。
入るなり出口のショップを見るのもなんなのだが、
まぁ雑貨好きな一家なので迷うこと無くそっちへ直行。
そこには・・・土偶のミニュチュアやキーホルダー、
クリアファイルにマグネット、土偶Tシャツや土偶ハンドタオル、
土偶のキャラクターが印刷されたパッケージのお菓子まで・・・(笑)。
いやぁ、全部土偶グッズですよ
あなどれない土偶人気さすがTHE POWER OF DOGUである。
(そういやチラシには”縄文スーパースター”とも書いてあった)
なかでも人気だったのが、件のガチャポン。
まさか国立博物館の中にガチャポンとはビックリなのだが、
子どもたちはもとより、普段はガチャポンなんかしそうにない大人まで
ガチャガチャしている。
かくいう私も娘もガチャポン好き、という訳でさっそくチャレンジ。
で、娘は「縄文式土器」、夫は「ハート形土偶」
そして私は「みみずく土偶」をゲット。
3つもやったんだからと、欲しかった「遮光器土偶」は泣く泣く諦めて
やっとこさ会場に突入したのである。
早いもので思い起こせば8年、あるいは4年・・書いておくものだね育児日誌とブログ [にっき]
気がつけばもう2010年になってから既に1ヶ月経とうとしている。
早いものですねぇ・・・
21世紀になってからだってもう10年にもなるものね、
年とる訳だわこりゃぁ。
ってな今日この頃、この間ふと三軒茶屋へ行くのに使う電車ってなんだっけ・・・
って思ったんだけど、ど〜しても出てこないのよ、路線名。
やだわ・・・年のせいかしら・・・
やっぱこ〜ゆ〜時って頑張って自力で思い出さなくちゃぁ・・っと
奥歯にものが詰まった状態で小一時間過ごしたkomadamuです。
そうよ、あの下高井戸から三軒茶屋まで走るあの路線は・・・
・・・・・・・そういや以前書いたよな、玉電の話。
玉電までは出てくるんだけどなぁ。。。。。
正解は、世田谷線でした。
ホントこれって年のせいだろうか・・・ヤバいなぁ・・・
と、記憶に関してめっきり弱気になっている私のもとに先日娘が
親に「小さかった頃の話」を聞いてレポートせよという学校の宿題を持ち帰ってきた。
う〜〜〜〜ん。齢8歳にして過去の話かぁ。。。
いや、勿論たくさんの思い出はありますよ。
ありますけどね、年のせいか記憶が曖昧で・・・
昨日発言したことさえ、真逆の意見を押し通す今日この頃の私。
さて・・・思い出せるのだろうか・・・
ということで、さっそく娘のインタビューが始まった。
娘の質問はまず核心からいきなり攻めてきた。
「生まれた時はどんなだったぁ〜?」
う〜〜ん。
混迷する記憶を掘り起こすべく思い出の旅に出る私・・・
そうだわアレアレ。あれがあるじゃない!・・・と
押し入れから山ほどのノートを引っ張り出した。
なぜならそれらには、出産前から出産後の育児の記録が記されていたからだ。